コンプライアンス違反を指摘したら
「ここにはここのやり方があるんじゃ!」
と怒鳴られた話
〜挑戦する組織風土のつくり方〜

数年前、私はある地方の支援機関に所属していました。

表向きは地域の事業者を支える組織。立派な理念。立派なパンフレット。

でも中に入ってみると、景色はまるで違っていました。

一部の古参メンバーが既得権を握り、組織の目的はいつの間にか「地域貢献」から「自分たちのポジション維持」に変わっていた。
外に向かうはずのエネルギーが、全部内側の調整に吸い取られている。そんな場所でした。

ある日、私は組織内で行われていた明らかなコンプライアンス違反に気づきます。

さすがに見過ごせず、当事者に
「これ、まずいんじゃないですか」
と指摘しました。

穏やかに、丁寧に。大人の対応を心がけたつもりです。

返ってきた言葉がこれでした。

「ここにはここのやり方があるんじゃ!」

……いやいや、やり方云々の話じゃなくてコンプライアンスなんですけど。。。

コンプライアンスがローカルルールで上書きされるという斬新な法体系。
六法全書より地元の掟が優先されるという、江戸時代の藩政もびっくりの統治構造です。
「ここは治外法権ですか?」と聞きたくなりましたが、あの気迫で凄まれて、私の口からは何も出てきませんでした。

この経験が、今の私の「組織のあり方」に対する問題意識の原点になっています。
私はコンサルタントとして2000社以上の経営相談に携わってきましたが、その中で気づいたのは、あの組織は特別に酷かったのではなく、同じ病巣を抱えた組織が驚くほど多いということです。

しかも厄介なことに、この病気には自覚症状がほとんどありません。

そこで今回は、組織が腐る兆候とチャレンジできる組織の作り方についてお伝えします!

 

組織が腐るのは
「事件」ではなく
「小さなズレ」の積み重ね

多くの人は、組織の崩壊を何か派手な出来事——横領が発覚する、内部告発がニュースになる——として想像します。
しかし現実には、そんなドラマチックな崩壊はめったに起きません。

組織は、じわじわと腐ります。

気づいたら空気が変わっている。気づいたら「おかしいこと」に誰も反応しなくなっている。
気づいたら、自分自身もその空気に順応し始めている。事件ではなく、気候の変化なのです。

行動科学では、これを「漸進的逸脱の正常化(Normalization of Deviance)」と呼びます。
NASAのチャレンジャー号事故の原因分析で社会学者ダイアン・ヴォーンが提唱した概念で、小さな逸脱が繰り返し容認されるうちに、組織全体の「正常」の基準そのものがズレていく現象です。

私があの組織にいた頃を振り返ると、まさにこれでした。
最初の数ヶ月は「おかしい」と感じていたことが、半年もすると「まあ、こんなものか」に変わっていく。
自分の感覚が書き換えられていく恐怖を、リアルタイムで体験しました。

では、この「静かな腐敗」はどんな形で表面に現れるのか。
私自身の体験とコンサルティングの現場で見てきたパターンから、決定的な兆候を3つ挙げます。

兆候① 「なぜ起きたか」より
「誰のせいか」が先に来る

健全な組織でもトラブルは起きます。違いは、その後の最初の一手です。

腐った組織では、問題が発生した瞬間に「犯人探し」が始まります。原因の構造分析や再発防止ではなく、「誰がやらかしたか」に全員のエネルギーが集中する。
そして特定の誰かを吊るし上げた時点で、組織は「解決した」と錯覚して思考を停止します。

なぜこうなるのか。認知心理学の知見で説明がつきます。
人間の脳にとって、複雑なシステムの欠陥を分析するのは非常に負荷の高い作業です。
一方、「悪い奴を一人見つけて叩く」のは認知コストが極めて低い。脳は常にエネルギー節約を優先するので、組織にストレスがかかるほど、安易な方——つまり生贄探し——に流れやすくなります。

『腐った組織』では、これが完全にシステム化されます。
何か問題が起きると、まず既得権を持たない人間(例えば外から来た人間や立場の弱い人間)に責任が向かう。
構造的な問題に踏み込めば、権力を持つ側の責任に行き着く。
だから絶対にそこには触れない。見事な防衛メカニズムです。

この環境で何が育つかというと、「他責」と「保身」の文化です。全員がミスを隠し、挑戦を避け、責任から逃げる。エドモンドソンが提唱した「心理的安全性」の真逆の状態。こうなると組織から学習能力が消えます。

挑戦する組織はこう設計する

トヨタの「なぜなぜ分析」が好例ですが、ポイントは「主語を人から仕組みに変える」ことです。
トラブル報告の書式に「誰が」の欄を設けず、「どのプロセスで」「なぜ発生し得たか」だけを書く。
フォーマットが変われば思考が変わり、思考が変われば文化が変わります。
仕組みで人の行動を設計する——行動経済学でいう「チョイス・アーキテクチャ」の発想です。

兆候② 「意見を言う人」が
「面倒な人」に分類される

これも非常にわかりやすいサインです。

「もっとこうした方がよくないですか?」という提案が、内容を検討される前に「空気を読めないやつ」として処理される。
不合理なルールに疑問を呈すると、「適応力がない」とラベルを貼られる。

私の場合は、提案どころか「法律を守りましょう」というレベルの話ですら「ここにはここのやり方があるんじゃ!」で一蹴されたわけですから、改善提案なんて異世界の言語と同じ扱いだったでしょう。

この現象の根っこには、行動経済学者カーネマンが実証した「損失回避性」があります。
人間は同じ大きさの利得と損失を天秤にかけたとき、損失の痛みを約2倍強く感じます。
既得権を持つ側にとって、「変化」はすなわち「今持っているものを失うリスク」です。
どんなに理にかなった改善案でも、自分の立場が揺らぐ可能性がある限り、本能的に排除にかかる。

そしてその排除を正当化するために使われるのが、「和を大事にしよう」「チームワークが大切」といった、誰も反論できない美しい言葉です。
反対意見を封じるのに「和」ほど便利な武器はありません。

こうして組織は自浄作用を失います。皮肉なのは、状況の異常さに最も早く気づくのが優秀な人材だということ。
彼らは見切りをつけて去り、残るのは現状に適応した人だけ。
組織の免疫システムが、健康な細胞を攻撃して癌細胞を温存する——自己免疫疾患のような状態です。

挑戦する組織はこう設計する

改善提案を出す行為そのものに、小さな報酬と承認を紐づけます。
そして、成功したかどうかは問わない。つまり、失敗する余力を残すということをします。
むしろ本気の失敗には価値があることを組織全員が認識していることがとても重要なポイント。
「挑戦した事実」を評価する仕組みをつくる
ナッジ理論の核心は、人を罰で動かすのではなく、望ましい行動のハードルを下げ、その行動に小さな快感を結びつけることです。
最初は付箋一枚で書ける「ミニ改善」で十分。提案のハードルを極限まで下げることが、文化を変える第一歩になります。

兆候③ 誰も「おかしい」と言わなくなったら
それが一番おかしい

3つの兆候の中で、私がもっとも危険だと感じるのがこれです。

ある異常な状態が長く続くと、人はそれを「異常」として認識できなくなります。
周囲の全員が同じ環境にいると、社会心理学でいう「社会的証明」——「みんながやっているなら正しいはずだ」という無意識の判断——が働き、個人の感覚を上書きしていきます。

「ここにはここのやり方があるんじゃ!」と怒鳴ったあの方は、おそらく本気でそう信じていました。
悪意で言ったのではない。
何年もその環境にいるうちに、コンプライアンス違反が「うちの文化」にすり替わっていただけです。

これは、その人個人の問題ではなく、環境の問題です。
だからこそ恐ろしい。

私自身も、あの組織にいた期間がもう少し長ければ、同じように感覚が麻痺していた可能性があります。
「まあ、こんなものか」と飲み込んで、自分の中の「おかしいセンサー」のスイッチを切っていたかもしれない。
茹でガエルにならずに済んだのは、運が良かっただけだと思っています。

挑戦する組織はこう設計する

定期的に「外の空気」を入れる仕組みを持つことです。
外部アドバイザーの登用、異業種との交流、中途採用メンバーの意見を意図的に重視する場の設計。
認知科学の研究では、メンバーの同質性が高い集団ほど判断の盲点が増えることが繰り返し示されています。
「よそ者の違和感」を貴重な情報源として扱えるかどうかが、組織の健全性を左右します。

もう一つ効果的なのは、年に一度「うちの当たり前を疑う日」を設けることです。
社内の慣習を全部リストアップして、「これ、なんのためにやってるんだっけ?」と全員で問い直す。
当たり前を疑う行為そのものを、年中行事に組み込んでしまう。

組織は変えられないが
自分の居場所は選べる

ここまで読んで「うちの職場、当てはまるかも」と感じた方へ。

一つだけ、はっきり伝えたいことがあります。
腐った組織に長くいることで最も損なわれるのは、あなた自身の「正常な感覚」です。
何がまともで何がおかしいかの基準が狂うと、その影響は次の職場にも、プライベートにも波及します。
失った時間は取り戻せません。

私はこれまでコンサルタントとして2000社以上の経営相談に携わる中で、「腐った組織」と「挑戦する組織」の両方をたくさん見てきました。

両者を分けるのは、才能でも予算でもありません。
仕組みの設計思想です。

犯人探しではなく原因分析に向かう報告フォーマット。
提案を出した人を称える小さな仕組み。外部の視点を定期的に取り入れるルール。
どれも特別なことではありません。
でも、意識して設計しなければ、組織は必ず内向きに、保守的に、そして静かに腐っていきます。

あの日、「ここにはここのやり方があるんじゃ!」と怒鳴られたことは、今の私にとって最高の反面教師になっています。
あの経験がなければ、「組織の文化」についてここまで真剣に考えることはなかったかもしれません。

苦い体験は、使い方次第で最高の教材になる。
そう信じて、今日もクライアントと一緒に「挑戦できる組織」をつくっています。

↓この記事を書いた人↓